未来へのblog
視覚から得る満足度?
ここ数年前から 生成AIたるものが世の中の皆様のお手元に届いているかと思います。
もちろん私もその1人でもあります
そもそも写真や芸術というのは今現実にある自身が立っている足元を含めて風の華やかさや時間の尊さだったりを表現するものとしています
この丘の先から未来のパートナーが笑顔で駆け寄って抱きしめてくへたら最高なのに。。とか?
この田田風景になくなった祖母の笑顔が輝いていたならばもう一度御礼をいえたのに。。とか?
きっとどれも(理想)叶わない美がそこにあるから
今の尊さが美として描かれていたわけで(^^)
簡単に言うとそれを視覚効果として作ってくれるのが生成AI というものが身近によりなって
その人権そのものも脅かされる?現実もそう遠くはないのかなと思ってます
だってそれらが法案も準備されないまま、近しい友人やご自身が全くの赤の他人のポケットの中の満足度の為にだけ使用されていたら?と思うとなにかそうしたちょっとした写真やAIからすると素材が発端で気持ちの落ち着かない事になるのでは?と思えてならないのです
探偵業の浮気や不倫現場ですらもしかしたら調査依頼した方が希望する絵が入手可能だったりそれによって ゆすりや脅し、社会的地位の剥奪みたいなことにもと想像が膨らみ兼ねません。
きっとそうした冤罪も産まれるでしょう。。
だからこそ
私達親としての世代がどんな背中をみせるかが未来の若者達が作る未来へと繋がるのかなと思うのです これらのことは芸能や世に出る人は仕方のない事??
ほんとにそうでしょうか? それが身内だったらと思えば居ても立っても居られなくはないですか??
と思うのです
絵や写真はある種のゴールでもありますが
その過程道のりこそがやはり美徳となるのです
こんな話、
この時代にはナンセンスと言われてしまうとは思いますが 車やバイクのタイヤについた泥や砂 枝まで汚れた靴にだってサクセスストーリーが滲んでいるはずなのです
祖母の皺のひとつひとつもその優しい笑顔を作っています
これらを単に汚れやシミとして判断してしまう生成AIにはまだお勉強が欲しいのと、早く法案を進めるべきかなということと、コレらは自分の首すら絞めるいじめのようなものになるんだよ
と若い世代に伝えていかないとなぁと思てならないのです
きっと簡単な筈。
コレに関しては語りたいことが尽きませんが、日本が日本で無くなりつつある昨今、来年や再来年そして5年後10年後にも同じことは言えてるでしょうか?どんな方にも普及したこの技術革新とウラハラに
ここで未来にむけて語っておきたいと思います。
私はこう考えます
美しさだけを撮っているのではない
美しくあろうとする心を撮っています
最後まで読んで頂きありがとうございました

