こんにちは 今日の名古屋はここ最近の酷暑に打って変わっての豪雨でした☂️
本来夏の写真には割と体力に自信のある私は割と好きなのですが、やはりそれでも体力の衰えだったり 暑さとのバランスで気力たるものが少し足りないのか? 少し億劫になってしまい
その相反する作品が撮りにくくなってしまっているというのも否めない事実ではあります
そもそも写真という表現には、その相反するものというのはとても重要です
私が普段撮るプロフィールにはさほどその技法は使わないのですが、こと写真作品となると同じ場所同じ時間でこんなにも景色がもたらすイメージって違うものだなと思ってもらうこと
そして人物も然りで同じ被写体を同じ距離や同条件下撮るのですがロケーションや天気でこうも力強くなったりするのかぁと それをある程度の支配感で眺めるミニチュアの世界がまた奥ゆかしく滑稽で味わい深いものにねるのです
想像してみて下さい 例えば同じ場所でもそこの50年後に同じ景色は存在しないのです
または同じ人間でも随分と大人になっていたり、今在る家族写真でも全員が写れなくなることだってあるのです
コレを写真では『time』というスパイスであったりするのです
最初の説明のなかで相反するものとありましたが
、撮るという行為には技は必要なく そんなスパイスにこだわる撮り手の味付けがまた写真作品だったりするものです
この説明の場合には2枚の写真が続けて必要ですが、それを一枚で表現する為に濡れた地面があったり 輝ける夏雲があったりする またはそれを懐かしむ被写体の表現だったり芝居が必要なのです
段々と映画論のようになってきましたが、それらを含めて効果という作業が必要なので 究極は写真でなくてもええやん。。という話になってきます
そうして絵から写真
写真から活動写真そして動画や映画となっていき
音楽やセリフそして間と言われる味わいの部分の表現へとなっていくのだと思います
エンタメとしては昨今、感じ方のタンパクな日本のクリエイションより隣国『韓国』や海外の物が高く評価されてますが、その間というものには日本人的な四季を感じる細やかさがやっぱり世界に届くものと私は信じて病みません。
なので相反するものの表現にはエンタメだけでなく俳句のようなセンスもやはり必要なのだと思ってます
皆様のいらっしゃる世界(業界)ではどうでしょうか?また考えてみてください
最後までお読みいただきありがとうございました
